斜陽

西日の当たるこの場所が好きでした。
変わることがないと信じていた私が在りました。
今は陽が差し込むことがない闇の世界になっていようと、
暖かくやわらかい光の記憶が、まだ胸に残っている。



「やっぱりここにいたの」
電灯がチカチカと点滅を不定期に繰り返す薄暗い廊下で、静かに智子は話しかけた。
「うん。落ち着くんだもん」
ゆっくりと振り向いた加奈子の手には、吸い慣れないタバコが小さな赤い火を灯している。
「どうしたの、それ」
「これ?さっき男の人が落としていったの。驚かせちゃったみたい」
「そりゃ驚くでしょ、こんなところに加奈子がいたらさ」
「口からね、フーって吐き出されるのじゃなくて、ユラユラと煙が漂うのを見たかったの。雲が生まれるのってそんな感じかなーって」
「違うでしょ。雲の初めを見たきゃ山に行けばいいじゃん、って無理か私らには。らしくないよ、タバコなんて」
「らしくない、か…」
加奈子はタバコを踏みつぶし、智子に微笑んだ。


「ねぇ、加奈子。こっから色んなものが見えたよね」
二人が居るのは雑居ビルの最上階。古いビルには空き部屋がいくつもあって、夜間以外は結構出入りが自由にできた。
階段に腰をかけ、加奈子は踊り場にある窓を見つめながら
「この踊り場に西日が差し込んで、自分がその中に溶けてくようなそんな感じが好きだったんだ」
と、ゆっくりとした口調で智子に話しかけた。
「もう、見えないね、隣に大きなビルが建っちゃったから。照明がないと真っ暗」
「うん。ねぇ智子、何で私たち死んだんだっけ?」
「……。“何で生きてなきゃいけないの” が一番だったんじゃない?そうだった…と、思う」
「そっか、そうだったね。自分で勝手にあきらめて、前に進むことをやめっちゃったんだ。二人で時間を止めたんだった。ハハハ……」
色んなことを忘れていく。少しずつ、少しずつ忘れていく。
「そうだよ。加奈子が『ココがいい』って言ったんじゃん。西日に溶けたいってさ」
そして時間は過ぎていき、二人は再び姿を消した。


階段をゆっくりと登ってくる音が響く。少女が一人、うつむいたまま最上階へとたどり着く。
「お父さんお母さん、ごめんなさい。生きてたくないの。ごめんなさい」
少女はカバンからカッターを取り出し、左の手首に刃をあてた。
「ダメだよ」
「えっ!?…何?…誰?」
「ダメだよ、そんなコトしちゃ」
「ぃやだ、何なの?」
「こっちに来ても、楽しくなんかないよ」
加奈子は少女に姿を見せた。ゆっくりと少女に歩み寄り、言葉を続けた。
「何でそんなコトするの?ダメだよ。お家に帰りな」
「あっ、あの、その、…かっ、かっ、帰ります、帰ります!」
全身おびえたように震えながらカバンを拾い、階段を急ぎ足で降りていった。刃がむき出しになったままのカッターを残して。


「また自殺、止めたの? 加奈子はお人好しだね」
「なんだか悲しいんだぁ。あのとき私らみたいなのがさ、先にいたらなって。ずっとココにいるんだよ。ココがなくなるまでずっといるんだよ」
智子は床に転がったカッターを手に取り、刃を納めた。
「そうだね、ふたりでいいよね、こんな思いするの」
「そのうち忘れるのかな。そういった思いさえ」
「そうかもしれないね」


そうして二人は再び姿を消した。ビルの廊下から姿を消した。


創作部屋〜斜陽〜2003.11.20

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